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大阪地方裁判所 昭和56年(わ)4753号 判決

主文

被告人南敏之を懲役五年に、被告人伊藤素子を懲役二年六月に処する。

被告人両名に対し、未決勾留日数中各二四〇日を、それぞれその刑に算入する。

訴訟費用は全部被告人伊藤素子の負担とする。

理由

(被告人両名の身上、経歴およびその関係)

被告人南敏之は昭和四五年三月、立正大学を卒業後、旅行業者である東急観光株式会社に入社し、営業あるいは外国旅行の添乗員として稼働していたが、昭和四七年に結婚した妻の実家が寺院で、大阪府茨木市内で霊苑の分譲、管理を業とするA霊苑管理事務所を営んでいたことから、右経営を手伝うため、昭和四九年末ころ、右東急観光株式会社を退社してこれに勤務し、その後、墓地の管理などを目的として設立されたA管理サービス株式会社の専務取締役を経て、昭和五四年に右会社と同様の営業目的で妻の母親を代表取締役として設立されたA管理株式会社の取締役となり、主として渉外業務を担当するとともに、昭和五〇年から、友人に頼まれフィリピン、マニラ市所在の旅行案内業「エアーアンドカーゴトラベルコーポレーション(略称ACトラベル)」を引継いで経営していたもの、被告人伊藤素子は、昭和四二年三月京都市内の明徳商業高校を卒業後、三和銀行に入社し、以来、大阪府茨木市永代町五番一〇八号所在の同銀行茨木支店において、電話交換手、普通預金係を経て、昭和四七年からは当座預金係として稼働していたものであるが、被告人南は、前記茨木霊苑事務所が三和銀行茨木支店に当座預金口座等を開設していたことや、同被告人自身も同支店に個人の当座及び普通預金の各口座を開設していたことから、昭和五〇年ころから同支店に出入りしていたところ、昭和五三年に入り、被告人南が同支店に開設していた右個人当座預金に残高不足が目立つようになったことから、当座預金係をしていた被告人伊藤が被告人南に入金を催促することが多くなるとともに、被告人南が同支店に来店して現金を被告人伊藤の許に持参したりすることなどが重なるうちに被告人両名は親しくなり、昭和五四年四月ころには情交関係を結ぶに至った。

(罪となるべき事実)

第一、被告人南は、前記のとおり昭和五〇年からマニラでACトラベルの経営をはじめたものの、同社には引継いだ際にきかされていたよりも多額の負債があったばかりか、仕事の量も当初予想した程とれないうえ、経理や従業員の管理を現地人に任せていたこともあって、ガイド料金などもおもうように入らず、赤字が続く状態となり、このため、当初は妻の実家から金を借りて赤字の穴埋めをしていたものの、昭和五三年ころからは、サラ金業者や知人から借金しては同社につぎ込んだため、次第に借金の額がふくれあがり、被告人伊藤からも情交関係のできた直後からこれらの借金やその利息の支払に充てるため再三に亘り金員を借り受けるなどしてその場しのぎをしてきたものの、昭和五六年二月末には同社のマニラにおける負債が約三、〇〇〇万円のほか国内における個人負債が約六、〇〇〇万円にも達し、金利等に月額約一五〇万円の支払を余儀なくされるに至り、同年三月に入ると倒産必至の苦境に追い込まれていたものであるところ、被告人南は、同年三月三日ころ、同府箕面市内で被告人伊藤と会った際、同被告人に借金の申し込みをしたものの、これを断わられたため、同被告人に対し、永い間銀行に勤めているのだから何とか銀行から金を引き出す方法はないのか、と尋ねたところ、当時、既に三和銀行では本店のコンピューターと各支店の端末機を結び情報を集中管理するいわゆるオンラインシステムを導入しており、各支店行員において端末機を操作して他支店発行の預金通帳に入金記帳ができ、かつ、同時にコンピューターに組み込まれた当座預金口座に入金を入力しうる仕組みになっていたため、同被告人から、他の支店へ入金する金を同銀行茨木支店で代受けした形でコンピューターに入金を打ち込めば他の支店にすぐ入金されるので、その支店から金を引出す方法がある旨きかされたことから、被告人南は、現在の窮状を抜け出すためには、自分に好意を持ち、従順であった被告人伊藤に頼んで右の方法で同銀行から金員を騙取するほかないと決意し、同被告人に対し、犯行後直ちに国外へ逃亡すれば逮捕されることはないので、右の方法での金員の騙取を考えて欲しい旨頼むとともに、被告人南は、右の話の中で被告人伊藤から、多額の金を引き出すには普通預金より当座預金の方が不自然でないが当座預金口座は容易には作れないという話が出た際、当座預金口座は暴力団に頼めば簡単に作れる旨同被告人に話してあったことから、この際、同被告人に右の方法による犯行を決意させあるいはその翻意を防ぐため、右の犯行に暴力団が関与しているように装うこととし、その後、同月八日迄の間、電話であるいは同府高槻市内の淀川堤防や茨木市内の安威川堤防などで直接会って、同被告人に対し、再三右犯行を決意するよう懇願するとともに、逡巡する同被告人に対し、預金通帳の作成などを暴力団に頼んでしまったので、ここで中止すると落し前をとられるし、これをきちんとしないと自分も殺されるし、同被告人も銀行にいられなくなる等とその事実がないのにあたかも暴力団が関与しているかのように申し向けて決意を促し、一方、被告人伊藤は、この間、被告人南から犯行を決意するよう懇願されたものの、右犯行は当日のうちに犯行自体ばかりかその犯人が自分であることまでもが発覚するものであるうえ、犯行後逮捕を免れるためには国外へ逃亡しなければならないものであったことから、当初はこれを断わっていたものの、被告人南に対する愛情からこれを断われば同被告人から捨てられるのではないかとのおもい、また、年老いた両親との潤いのない生活や職場に対する不満、さらには、被告人南とは別の妻子ある男性との長い交際の間に婚期を逸したことによる前途に対する失望感などから、同被告人の懇願を受け入れることによって新しい生活が開けるかもしれないとの期待と、前記の同被告人の暴力団が関与している旨の言葉から、遂に前記の方法による犯行を決意するに至り、同月八日、前記安威川堤防で被告人南と会った際これを承諾し、ここにおいて被告人両名共謀のうえ、同月九日、同府豊中市内のホテルにおいて、騙取金額は二億円とすること、騙取は架空名義の普通預金口座を利用し、この預金通帳を偽造する方法で行うこと、右の架空名義の普通預金口座は、犯行が当日茨木支店閉店後直ちに発覚することから、限られた時間内での犯行の完了と被告人伊藤の国外脱出を成功させるため、預金引出が容易な右茨木支店周辺の支店および同被告人の国外脱出の経路にあたる東京の支店に開設することとし、その通帳と印鑑とを入手しておくこと、犯行日は銀行が最も多忙でかつ多額の現金が用意されている二五日とすること、犯行後被告人伊藤は、被告人南の知人Bがおり、警察力の弱いマニラへ逃亡することとし、その際、出発は警察の手配のされにくい羽田空港からとすること、などの謀議をした後、同月一二日、被告人両名は上京し、翌一三日、鈴本、佐々木の各印鑑を購入したうえ、東京都港区新橋一丁目一一番七号所在の同銀行新橋支店に架空人鈴本吉男名義で、同区虎ノ門一丁目四番二号所在の同銀行虎ノ門支店に架空人佐々木武男名義で、それぞれ金一、〇〇〇円を預金し、次いで帰阪したうえ、大阪府吹田市元町四番一号所在の同銀行吹田支店に架空人鈴本啓一名義で、同府豊中市中桜塚二丁目二一番一号所在の同銀行豊中支店に架空人佐々木健一名義で、それぞれ金一、〇〇〇円を預金して、右各支店発行の各架空人名義の普通預金総合口座通帳各一通を入手し、その後同月二四日までの間に、さらに、架空入金の額は大阪の支店は各三〇〇〇万円、東京の支店は各六、〇〇〇万円とすること、架空入金後入金票およびジャーナルを処分すれば架空入金の事実が茨木支店独自では解明できず時間がかせげることからこれらを処分すること、架空入金後預金の引出は被告人伊藤において行い、その際できるかぎり現金とするとともに、怪しまれないように多少預金を残すこと、などを取り決めたほか、被告人伊藤において当時の自宅において、吹田支店分として鈴本啓一名義で金額二、五〇〇万円の、豊中支店分として佐々木健一名義で金額二、五〇〇万円の、新橋支店分として鈴本吉男名義で金額五、三〇〇万円の、虎ノ門支店分として佐々木武男名義の金額五、二〇〇万円の、各普通預金総合口座払戻請求書を作成するとともに、架空入金の方法は現金代受けは現金有高が閉店後早急に照合されて不正が発覚することから振替代受けにすることを決めたほか、被告人両名で被告人伊藤の勤務する右茨木支店から右吹田支店迄の所要時間を実際に車を走らせて預金引出に要する時間を計るなどした後、被告人伊藤において、

一、同月二五日午前一〇時零分ころ、右茨木支店において、行使の目的をもってほしいままに、同支店七七号端末機を操作して前記吹田支店発行の鈴本啓一名義の預金通帳のお預り欄に、同日金三、〇〇〇万円の振替入金があり、これを右茨木支店が代受けしたように偽りの記帳をなし、もって右吹田支店作成名義の私文書一通を偽造し、同時にコンピューターに組み込まれた鈴本啓一名義の右預金口座にその旨入力したうえ、同日午前一一時二五分ころ、右吹田支店に赴き、同支店係員に対し、右偽造した通帳をあたかも真正に成立したもののように装って鈴本啓一名義の金額二、五〇〇万円の普通預金払戻請求書と共に提出行使し、同係員をして払戻請求のあった金額が真正に入金されているものと誤信させ、よって、即時同所において同人から預金払戻名下に現金二、五〇〇万円の交付を受けてこれを騙取し、

二、前同日午前一〇時三分ころ、前記茨木支店において、行使の目的をもって、ほしいままに、前記端末機を操作して前記豊中支店発行の佐々木健一名義の預金通帳のお預り金額欄に、同日金三、〇〇〇万円の振替入金がありこれを右茨木支店が代受けしたように偽りの記帳をなし、もって右豊中支店作成名義の私文書一通を偽造し、

三、前同日午前一〇時七分ころ、前記茨木支店において、行使の目的をもって、ほしいままに、前記端末機を操作して前記新橋支店発行の鈴本吉男名義の預金通帳のお預り金額欄に、同日金六、〇〇〇万円の振替入金がありこれを右茨木支店が代受けしたように偽りの記帳をなし、もって右新橋支店作成名義の私文書一通を偽造し、同時にコンピューターに組み込まれた鈴本吉男名義の右預金口座にその旨入力したうえ、同日午後二時五四分ころ、右新橋支店に赴き、同支店係員に対し、右偽造した通帳をあたかも真正に成立したもののように装って鈴本吉男名義の金額五、三〇〇万円の普通預金払戻請求書と共に提出行使し、同係員をして払戻請求のあった金額が真正に入金されているものと誤信させ、よって即時同所において、同人から預金払戻名下に現金五〇〇万円および同銀行新橋支店長服部健吉郎振出しにかかる金額四、八〇〇万円の小切手一通の交付を受けてこれを騙取し、

四、前同日午前一〇時二四分ころ、前記茨木支店において、行使の目的をもって、ほしいままに、前記端末機を操作して前記虎ノ門支店発行の佐々木武雄名義の預金通帳のお預り金額欄に、同日金六、〇〇〇万円の振替入金があり、これを右支店が代受けしたように偽りの記帳をなし、もって右虎ノ門支店作成名義の私文書一通を偽造し、同時にコンピューターに組み込まれた佐々木武雄名義の右預金口座にその旨入力したうえ、同日午後三時二〇分ころ、右虎ノ門支店に赴き、同支店係員に対し、右偽造した通帳をあたかも真正に成立したもののように装って佐々木武雄名義の金額五、二〇〇万円の普通預金払戻請求書と共に提出行使し、同支店係員をして払戻請求のあった金額が真正に入金されているものと誤信させ、よって即時同所において、同人から預金払戻名下に現金二、〇〇〇万円および同銀行虎ノ門支店長渡辺弘振出しにかかる金額三、二〇〇万円の小切手一通の各交付を受けてこれを騙取し、

第二、被告人南敏之およびCの両名は、いずれも本邦内に住所を有する居住者であるが、共謀のうえ、大蔵大臣の許可を受けず、かつ法定の除外事由がないのに、Cにおいて、同年四月五日、千葉県成田市三里塚字御料牧場一丁目一番地所在の新東京国際空港から香港行旅客機に支払手段である本邦通貨をもって表示される前記第一の三記載の同銀行新橋支店長服部健吉郎振出しにかかる金額四、八〇〇万円の小切手一通および前記第一の四記載の同銀行虎ノ門支店長渡辺弘振出しにかかる金額三、二〇〇万円の小切手一通を携帯して搭乗したうえ、香港に向け出発し、もって支払手段を輸出し、

第三、被告人南敏之およびDの両名は、いずれも本邦内に住所を有する居住者であるが、共謀のうえ、大蔵大臣の許可を受けず、かつ法定の除外事由がないのに、Dにおいて、同年三月二八日、前記新東京国際空港から香港行旅客機に支払手段である本邦通貨二、二〇〇万円を携帯して搭乗したうえ、香港に向け出発し、もって支払手段を輸出し

たものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

一、罰条

判示第一の一、三、四の各所為のうち

各私文書偽造の点につき、刑法一五九条一項、六〇条

各偽造私文書行使の点につき、同法一六一条一項、一五九条一項、六〇条

各詐欺の点につき、同法二四六条一項、六〇条

判示第一の二の所為につき、同法一五九条一項、六〇条

判示第二、第三の各所為につき(被告人南)

外国為替及び外国貿易管理法七〇条九号、一八条一項、外国為替管理令八条一項、二項、四項、昭和五五年大蔵省告示一一七号、三項、四項、刑法六〇条

一、科刑上一罪の処理(判示第一の一、三、四につき)

同法五四条一項後段、一〇条(いずれも最も重い詐欺罪の刑で処断。但し、短期はいずれも偽造私文書行使罪の刑のそれによる。)

一、刑種の選択(判示第二、第三につき)懲役刑

一、併合罪の処理(被告人南につき判示第一の一ないし四、第二、第三、被告人伊藤につき判示第一の一ないし四)同法四五条前段、四七条本文、一〇条(被告人両名につき刑および犯情の最も重い判示第一の四の詐欺罪の刑に法定の加重。但し、短期は偽造私文書行使罪の刑のそれによる)

一、未決勾留日数の算入 同法二一条

一、訴訟費用の負担(被告人伊藤)刑訴法一八一条一項本文

(量刑の事情)

一、被告人両名の判示第一の犯行(以下、本件犯行という)は、その当日中に犯行が発覚するのは勿論、犯人の一人が被告人伊藤であることまでもが判明するものであるにもかかわらず、コンピューターシステムの弱点を利用し、判示のとおり極めて綿密な計画と周到な準備のもとに行うとともに実行行為者を国外に逃亡させるというものであって、極めて大胆かつ巧妙な計画的犯罪であること、その被害額も現金五、〇〇〇万円、小切手八、〇〇〇万円と多額であること、また、本件犯行は、前記のとおりコンピューターシステムの弱点を利用したものであり、今日、これらシステムは金融機関は勿論、多方面に普及しており、現在の社会生活上あるいは経済取引上必要かくべからざるものであるところ、そもそも右システム自体に内在する弱点とはいえ、これらを扱う者によって容易に悪用されうるものであることを明らかにし、その結果、右システムに対する社会の信頼を失わしめるとともに、同種事犯を誘発しかねないものであって、本件犯行態様の特殊性の故をもって、被告人両名の責任を殊更厳しく追求することは妥当でないにしても、右システムに依存すること大である社会に与えた影響には無視できないものがあること、などを考え合せると、小切手については幸い現金化されなかったこと、現実の被害額である五、〇〇〇万円については、被告人南において約一、七七八万円、被告人伊藤において約一、二〇四万円を弁償しており、さらに、被告人南が香港浙江第一銀行に預金した本件騙取金の一部である約一、〇〇〇万円については、同被告人の弁護人が誠意をもってその払戻にあたっていることからして右金員が近い将来被害弁償に充られるであろうことを考慮に入れても、その刑事責任は極めて重大であるといわねばならない。

二、次に被告人個々の情状についてみるに、

(一)  被告人南については、本件犯行のそもそも動機は判示のとおりもっぱら同被告人の経営するACトラベル関係の負債の返済のためのものであること、また、右の負債の原因は、その一部には現地従業員の不正等によるものがあったとしても根本的には同被告人の金銭的にルーズで虚栄的性格や放漫経営にあったものであり、その動機には格別酌むべき点はないこと、本件犯行の計画は同被告人において主導的に進めたものであること、騙取した金員のうち被告人伊藤が国外に逃亡した際持ち出した五〇〇万円を除くその余の部分は被告人南において利得していること、妻子がありながら被告人伊藤と情交関係を持ち、既に同被告人から前記負債等に充るため九〇〇万円近い金員を借り受け、その殆んどを返済していないうえに、同被告人が自己に好意を持ち、その意のままになることを奇貨とし、同被告人を本件犯行に加担させていること、被告人伊藤を本件犯行に加担させるについては、脅迫の意図はなかったとしても、暴力団が関与しているかのような虚言を弄しており、かつ、右の虚言は単に被告人伊藤に犯行を決意させあるいはその翻意を防ぐための手段にとどまらず、被告人伊藤において本件犯行に同意しなかった場合に同被告人からさらに金員を引出すための手段として用いられたもので極めて狡猾であること、本件犯行において自らは全く表面に出ないばかりかアリバイ工作をするなどして自らの身は常に安全な場所におきながら、架空名義の預金通帳の作成から本件金員等の騙取に至るまで犯行の全てを被告人伊藤にさせていること、自らは家庭も国も捨てることなく国内に残り、女性である被告人伊藤一人を国外に逃亡させているばかりか、同被告人に対しては本件逮捕に至るまでの約五ヶ月間に電話を一度したのみで、結果において同被告人を見捨てていること、前記のとおり被告人伊藤を本件に加功させているばかりでなく、騙取した金員や小切手等の運搬、寄蔵、判示第二、第三の事実のような国外への持ち出し、さらには小切手の現金化などに次々にその友人らを利用し、これらの者に犯罪を犯させていること、等を考え合せると、犯情は極めて悪質であって、その刑事責任は極めて重大であり、前記のとおりの被害弁償がなされていること、本件によって、結局家族を含め全てを失う結果になっていること、前科前歴のないこと等有利な一切の事情を斟酌しても、主文掲記程度の刑は免れえないところである。

(二)  被告人伊藤については、同被告人が本件犯行を決意するについては、被告人南の用いた判示のような暴力団が関与している旨の虚言に影響されたことは否定できないところであるが、その主たる動機は判示のとおりの被告人伊藤の被告人南に対する愛情や個人的不満等にあること(なお、被告人伊藤は当公判廷において、本件犯行を決意したのは、主として被告人南の暴力団に関する判示のような言葉が恐しかったことにある旨供述するが、被告人南に危害が加えられるとの点については、被告人伊藤は当公判廷において、被告人南に対する愛情につき、昭和五四年一〇月、二人で香港旅行に行った際、被告人南の態度が冷たかったことから別れようと考えたが別れると貸した金が返えしてもらえなくなるのできり出せなかった、また被告人南に捨てられて困る程愛してはいなかったとも供述しており、もし、この供述が真実であるとするならば、右の程度の愛情しか有していない者に危害が加えられることを怖れて本件犯行のような大きな犯罪を犯すというのは不自然であるし、また、被告人伊藤自身が銀行にいられなくなるとの点については、前記のとおり本件犯行は、その日のうちに発覚するとともにその犯人が同被告人であることまでもが判明するばかりか、同被告人自身国外へ逃亡しなければならないというものであって、その結果は銀行におれなくなるどころの比ではなく、右の点を怖れて本件犯行を決意したというのもまた不自然であり、被告人伊藤の本件犯行の動機についての当公判廷における供述は不自然な点が多く信用できない。そして、同被告人が職場に対して不満を抱いており、退職までも考えていたことは《証拠省略》からも認められるところであるし、また、家庭に対してもまた不満を抱いていたことは被告人南の前掲各供述調書からも認められるところである。)被告人伊藤が本件犯行を決意した経緯は判示のとおりであり、また決意後もなお犯行に対するためらいが認められるものの、架空入金を振替代受けにすることあるいは架空入金後入金票、ジャーナルを処分することなど銀行員である同被告人でなければ知りえない知識を用いて本件犯行を計画し、遂行していること、そして、何にもまして本件犯行は被告人伊藤なくしては実行不可能なものであり、かつ、現在の銀行業務を遂行するうえで不可欠であるオンラインシステムは、その前提として、これを取り扱う行員が職務を誠実に果すとの信頼のうえに成り立っているところ、在職一四年で同銀行の信頼のもとに主任と呼ばれる地位にありながら、その信頼を裏切り、右オンラインシステムを悪用し、同銀行に多大の損害を与えていること、等を考え合せると同被告人の刑事責任もまた重く、本件犯行はそもそも被告人南の借金の返済のためのもので、被告人伊藤の利得のためではなかったこと、実行行為そのものは同被告人が行っているものの、犯行の計画は被告人南が主導的に行ってきたもので、被告人伊藤はこれに追随してきた面の多いこと、同被告人が本件犯行を決意するについては、被告人南の判示のような虚言に影響されたことは否定できないこと、騙取した金員のうち被告人伊藤が利得した部分は五〇〇万円であり、既に右利得額の倍以上の額の被害弁償をしていること、自ら招いた結果とはいえ、国外での逃亡生活も結果において被告人南に見捨てられた形となり、そのため他の男性を頼って生きなければならなかったなど惨めなもので、結局本件犯行によって得るところはなかったこと、既に一〇ヶ月近く身柄を拘束されていること、前科前歴のないこと等同被告人にとって有利な一切の事情を斟酌しても、その刑の執行を猶予できる事案ではない。但し、その刑期については、前記の有利な事情を考慮し、主文掲記程度にとどめることとする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判官 瀧川義道)

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